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カナダの有名人 Canadian Stars

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arrowセリーヌ・ディオン(Celine Dion)
セリーヌ・ディオン(1968年3月30日生まれ)は、カナダ出身で世界的に有名なミュージシャン。カナダのケベック州モントリオール郊外のシャルルマーニュにて音楽一家の14人兄弟の末っ子として生まれました。幼少より類まれな才能を発揮し、12歳で現在の夫であり、音楽マネージャーのレネ・アンジェリルと出会う。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保としてデビューアルバムの発売資金を調達したほどです。音楽はポップス、ロック、ソウルの他に、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家には彼女自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されています。1981年に発売されたフランス語のファーストアルバムにより、瞬く間にケベックにおけるスターの地位を獲得。1990年代には、『Because You Loved Me』、『It's All Coming Back To Me Now』やアトランタオリンピックの開会式で歌った『The Power Of The Dream』、『タイタニック』の主題歌になった『My Heart Will Go On』の世界的ヒットなど数多くの映画にサウンドトラックを提供し、地位を不動のものとしました。

1999年から個人的な理由で休暇を取った後、2002年にアルバム『A New Day Has Come』で復帰、2003年からはラスベガスのシーザーズ・パレス・ホテルにて3年間の契約で毎晩『ANew Day... Live in Las Vegas』という定期公演をおこなっています。2005年1月6日セリーヌ・ディオンは、スターの名前を刻んだハリウッド名声の歩道(The Hollywood Walk of Fame)に2244人目の仲間入りしました。このときの全世界セールスは約1億5千万枚と言われています。


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arrowマイケル・J・フォックス(Michael.J.Fox)
マイケル・J・フォックス(1961年6月9日生まれ)は、カナダ・アルバータ州・エドモントン出身の俳優。本名はマイケル・アンドリュー・フォックス。 俳優になる際に同名俳優が既にいたことから、尊敬するマイケル・J・ポラードにちなみ「J」の字をつけました。18歳でアメリカへ渡り、4年後、主役のアレックス・キートンを演じたTVドラマシリーズ『ファミリータイズ』のヒットにより一躍全米に顔が知れ渡ります。その後ハリウッドに進出し、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの主人公・マーティを演じます。同シリーズの大ヒットによりハリウッドのトップスターの仲間入りを果たしました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではチャック・ベリーのヒット曲『ジョニー・B・グッド』をハードロック調にアレンジし演奏。バンド活動をしていたこともある彼のギター演奏の腕前は中々のもの。しかし30歳の若さでパーキンソン病を発症。病を隠しながらも、自らプロデュースに参加し主演もつとめたTVドラマシリーズ『スピン・シティ』などに出演を続けるが、1998年に病気を公表、2000年には『スピン・シティ』を降板し俳優活動から退きました。

その後パーキンソン病の研究助成活動を初め「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立。また自らの生い立ちやパーキンソン病との格闘を綴った自伝『ラッキー・マン』を発売し、米国でベストセラーとなりました。俳優活動から退いた後『スチュアート.リトル』などのアニメ映画の声優などを行っていたが、2004年米TVドラマへのゲスト出演でTV復帰。ただし病気が完治したわけではなく今後の予定は不明。


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arrowジム・キャリー(Jim Carrey)
ジム・キャリー(1962年1月17日)はカナダのオンタリオ州出身の俳優です。子供の頃からコメディアンになることを夢見ていた彼は、高校をドロップアウトし15歳で地元のコメディ・クラブの舞台に立ち19歳でアメリカに移動。スタンダップ・コメディの舞台やテレビ出演で下積みを続け、1984年に映画デビューしました。

その柔軟性のある体と顔をフルに使っての演技が受け、初めて主演した『エース・ベンチェラ』が大ヒット。同年の『マスク』もヒットし、コメディ俳優としてトップに。1998年『トゥルーマン・ショー』にてゴールデングローブ賞の主演男優賞(ドラマ部門)を受賞。1999年にも『マン・オン・ザ・ムーン』にてゴールデングローブ賞・主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。近年はコメディ以外にも出演し、演技の幅を広げています。最新作に『ディック&ジェーン 復讐は最高!』があります。1987年に最初の結婚をしたが1996年に離婚。1997年に女優のローレン・ホリーと再婚したが、8ヵ月後に別れています。


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arrowキアヌ・リーブス(本名Keanu Charles Reeves)
キアヌ・リーブス(1964年9月2日)は、アングロ系カナダ人の映画俳優。現在はアメリカ合衆国でも活動中。以前は家を持たないことで有名だったが、数年前に家を購入。隣にはレオナルド・ディカプリオの家があります。彼の名「キアヌ」はハワイの言葉で「山からの涼風」を意味し、より深い意味「絶えず神の意識に集中する者」を持つ。彼の父親はハワイ出身の中国系アメリカ人の学者で、母親はイギリス人の元ダンサー。カナダのトロントで育った彼は熱心なアイスホッケーファンで、高校時代は学校のチームのMVPを受賞。大学でもアイスホッケー選手として活躍し、プロからの誘いもあったが俳優になることを選びました。

1994年『スピード』に主演し一躍有名になるが、自分のポリシーにこだわり『ディアボロス』という映画に専念するとの理由で『スピード2』の出演を断ったのは有名な話です。その後すっかり影をひそめたが、1999年『マトリックス』に出演以来、再び脚光をあびています。彼は1991年にロックバンド「ドッグスター」を結成しベースを担当。現在ドッグスターは活動を中止しており、ドッグスターのドラマー、ロブ・メールハウス、ギタリストのポーリー・コスタ、ボーカルのレベッカ・ロードと共に「ベッキー」というバンドでベースを担当しています。しかし最近のインタビューで、音楽活動を取りやめたことを語りました。


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arrowキーファー・サザーランド(Kiefer William Frederick Dempsey George Rufus Sutherland)
キーファー・サザーランド(1966年12月21日)は、テレビジョン及び映画俳優、そしてプロデューサーです。父親は俳優のドナルド・サザーランド、母親は女優のシャーリー・ダグラス。ロンドンで生まれ、両親の離婚後にカナダのトロントに移住。子役としてテレビなどに出演し、1984年に映画デビュー。役に恵まれない時期もありましたが、『24 TWENTY FOUR』で復活。2005年11月24日、初来日を果たしました。 現在は製作や監督も手がけ、ロサンゼルスに住んでいます。名前が非常に長いが、これは父親が金を借りていた人達に「長男が生まれたらあなたにちなんだ名前を付ける」と約束していたから。キーファー・サザーランド本人も知らない名前があるらしい。これまでに2度結婚していて、ジュリア・ロバーツと婚約していたときは式の直前に破局。2度目の結婚は義娘のボーイフレンドに銃口を向け、それがきっかけで離婚したと言われています。ちなみに『24』で自身の娘をADとして起用したが、態度が悪いとのことで父親であるキーファー・サザーランド自身が解雇した話は有名です。


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arrowアヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)
アヴリル・ラヴィーン(1984年9月27日)は、カナダ・オンタリオ州のナパニー出身の女性ロック歌手。作詞、作曲も自ら担当するなど多才です。 パンクロックの持つ危険さ、攻撃性と、ポップスの持つ聴きやすさ、親しみやすさを併せ持つ独自のメロディー、抜群の歌唱力と存在感、愛らしい美貌で人気を得ています。また、ロック歌手としての器、声の太さ、張り、強さは男性歌手にも決して劣らず特に素晴らしい。また彼女はべジタリアンとしても知られています。近年、女性ロック歌手が少なかったため特に異彩を放っていて、シェリル・クロウ、アラニス・モリセット以来の大型女性ロック歌手とその評価も高い。

アルバム第一作『Let Go』は、全世界で2000万枚、日本で200万枚のベストセラーをあげました。世界各国での評価も高く、2003年のグラミー賞の最優秀新人賞の有力候補と目されたが、その年は惜しくもノラ・ジョーンズに最優秀新人賞が与えられました。なお2005年6月28日にカナダのロックバンドSum 41のボーカル、デリック・ウィブリーとの婚約を発表。トリノオリンピック閉会式において次回開催国、カナダのミュージシャンとしてライブパフォーマンスをしたのは記憶に新しい。


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arrowブライアン・アダムス(Bryan Adams)
ブライアン・アダムス(1959年11月5日)は、カナダオンタリオ州キングストン出身の歌手、作曲家、作詞家です。10代のころから音楽活動を始め、19歳でA&Mレコードとソングライターとして契約を結びました。1980年2月 1stアルバム『Give me your love』を発表。1984年にリリースされた4thアルバム『Reckless』が世界的大ヒット。その中のシングル『Heaven』が自身初のシングルチャート(ビルボード)全米No.1に輝く。年間チャートでも2位を記録(1位はブルース・スプリングスティーンの『Born In The USA』)。1991年に『Waking up the neighbors』を発売、全米チャート6位となりました。このアルバムに収録された『(everything I do)I do it for you』は映画『ロビンフッド』のテーマソングとなり、6週連続で全米チャート1位となり、年間でも1位となる大ヒットとなりました。1993年、映画「三銃士」のテーマとなる『All for love』をリリース。映画にちなんで、ロッド・スチュワート、スティングと三銃士を結成し全米チャート1位に。同年、ヒット曲を集めたアルバム『SO FAR SO GOOD』を発売。

映画のテーマソングでバラードを歌い、ヒット曲を量産した彼は、いつしかバラードシンガーとして定着。そのことを嫌ったのか1996年、アルバム『18 TIL I DIE』をリリース。ロックを前面に出したアルバムであったが、世間とのイメージのずれが大きかったのかヒットには結びつかなかった。以降、ヒット曲には恵まれていない。


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arrowヘイデン・クリステンセン(Hayden Christensen)
ヘイデン・クリステンセン(1981年4月19日)は、ブリティッシュコロンビア州・バンクーバー出身の俳優です。7歳の時、CM出演した姉について行ったところスカウトされたのがデビューのきっかけ。12歳からTVドラマに出演し、2000年の『マウンテン・ウォーズ/ホライズン高校物語』における、継母から性的誘惑を受けたショックで麻薬に溺れてしまう少年役で注目を集めました。映画ではケヴィン・クライン主演『海辺の家』で多感な時期の息子役の好演し、SF大作『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』で若き頃のダース・ベイダー、アナキン・スカイウォーカー役に抜擢され、2005年公開のシリーズ最終作『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』でもダークサイドに堕ちるアナキンを熱演。さらには旧三部作の『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』のDVD版ではCG合成によりアナキンの霊体の頭部を演じています。

ちなみに2003年に主演した『ニュースの天才』はトム・クルーズ総指揮の元、実兄のトーヴ・クリステンセンが製作を務めました。また2004年のルイ・ヴィトン(秋冬)の広告キャンペーンモデルを務めています。


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arrowアラニス・モリセット(Alanis Morissette)
アラニス・モリセット(1974年6月1日)はカナダの首都、オタワ出身の女性シンガーソングライターです。彼女のデビューアルバムは全世界で破格の約2800万枚を突破。女優として1999年『ドグマ』や『五線譜のラブレター DE-LOVELY』、テレビドラマ『SEX and the CITY』にも出演しています。


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arrowジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)
ジョニ・ミッチェル(1943年11月7日)は女性歌手でもあり画家でもあります。カナダ・アルバータ州のフォート・マクレオド生まれ。1960年代にトロントでフォーク音楽活動を開始。その後ニューヨークに移り、1970年代のポップシーンで活躍しました。音楽だけでなく、写真や絵画においても芸術家としての才能を見せています。


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arrowデイヴィッド・フォスター(David Foster)
デイヴィッド・フォスター(1950年)は、ブリティッシュ・コロンビア州のビクトリア出身の男性音楽家です。
1974年より音楽活動を開始。セリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン、マドンナなどの著名なアーティストのアルバムのプロデュースなどを手がけています。 近年、自らのレーベル「143レコード(143 Records)」を立ち上げ、ザ・コアーズなどのアルバムを制作。アース・ウィンド・アンド・ファイアの『After The Love HasGone』を作曲し、この曲はシングルでは全米2位を獲得しています。自らの作品としては、グラミー賞を14回(うち3回は「最優秀プロデューサー賞」)受賞しています。アカデミー賞では最優秀楽曲賞を3回、映画『魔法の剣 キャメロット』ではゴールデン・グローブ賞を受賞。1992年に映画『ボディーガード』の挿入歌『I Have Nothing』の作曲でグラミー賞及びアカデミー賞最優秀楽曲賞にノミネートされました。また、1988年のカルガリーオリンピック、1996年のアトランタオリンピック、さらに2002年のソルトレイクシティオリンピック、とオリンピックのテーマ曲に3度も携わっています。

長期にわたり、小児ガン、白血病、エイズなどの研究支援や内臓移植の必要な子供達のサポートを行っています。彼の人道的支援に対し、カナダでの民間人の最高栄誉である「オーダー・オブ・カナダ(Order of Canada、カナダ勲章)」を受勲。またビクトリア大学の名誉博士号を受称。さらにはカナダにおいてカナダ音楽殿堂(Canadian Music Hall of Fame)入りもしています。


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arrowルーシー・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery)
ルーシー・モード・モンゴメリ(1874年11月30日−1942年4月24日)はカナダの児童文学者。『赤毛のアン』は日本でも有名です。
カナダ東部プリンス・エドワード島のクリフトンで生まれ、2歳の時に母が死亡、父は再婚し、母方の祖父母に育てられました。1893年から1894年にプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジで一級教員の資格を取得。小学校教員や新聞記者などをし、1895年から1896年にかけてノヴァスコシアの州都ハリファックスのダルハウジー大学で文学を学びました。1906年に婚約、1908年処女作『赤毛のアン』を出版。その後、1909年の第2作『アンの青春』など赤毛のアン・シリーズは10冊が刊行され、生涯に20冊の小説と短編集を発表しました。特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40ヶ国語に翻訳されるほどの成功を収めました。モンゴメリは1935年にフランス芸術院会員となり、トロントに引越し、また大英帝国勲位も受章しました。

『赤毛のアン』は日本でも中学の国語の教科書に収録され、1979年に世界名作劇場シリーズでテレビアニメ『赤毛のアン』として放映されました。現在でも若い女性に人気があり、プリンス・エドワード島で結婚式を挙げるカップルがいるほどです。カナダからはまだノーベル文学賞作家が出ておらず、児童文学とはいえ、モンゴメリは世界的に最も著名なカナダ作家です。


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arrowスティーブ・ナッシュ(Steve Nash)
南アフリカで生まれ、カナダで育ったスティーブ・ナッシュ(1974年2月7日)は、アメリカ合衆国のプロバスケットボールリーグNBAのフェニックス・サンズに所属するバスケットボール選手です。ポジションはポイントガード。正確なシュート力とコートを駆け巡れるスピード、広いコートビジョンなどポイントガードに必要な能力を兼ね備えています。ナッシュの父はプロサッカー選手、弟はサッカーカナダ代表、というスポーツ一家です。

その後、大学に進学しNCAAトーナメントに出場するなどの活躍をおさめ1996年にドラフト1巡目、15位でフェニックス・サンズに指名されてプロ入り。これはカナダ人としてのドラフトされた選手の最高順位でした。この当時、フェニックス・サンズにはジェイソン・キッドとケビン・ジョンソンといった素晴らしい同ポジションの選手がいたため、1996-1997、1997-1998シーズンは控えポイントガードだった。
翌1998-1999シーズンはトレードによりダラス・マーベリックスに移籍。2001-2002にはオールNBAサードチームに選ばれ、初めてオールスターに出場。翌2002-2003年シーズンもオールスターに出場しました。2004-2005シーズンにフリーエージェントで古巣のフェニックス・サンズに戻り、アシスト王のタイトルを獲得、チームも前年リーグ最高勝率を残します。またこの年、シーズンMVPも獲得。これはカナダ人としては史上初、外国生まれの選手としてはアキーム・オラジュワンについで2人目です。

翌2005-2006シーズンは1試合平均18.8得点、10.5アシスト、スリーポイント成功率43.9%(全体6位)、フィールドゴール成功率51.2%(全体16位)、フリースロー成功率92.1%(全体1位)の成績を残し、チームはパシフィック・ディビジョン優勝を遂げた。また、2年連続のアシスト王及び、NBA史上2人目、ポイントガードとしてはマジック・ジョンソン以来となる史上2人目の2年連続でシーズンMVPを獲得しました。


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